最高裁判所第一小法廷 平成3年(行ツ)87号 判決 1991年11月21日
上告人
松田勲
右訴訟代理人弁護士
仲田隆明
後藤貞人
被上告人
大阪府教育委員会
右代表者委員長
若槻哲雄
右当事者間の大阪高等裁判所平成元年(行コ)第二一号懲戒免職処分取消請求事件について、同裁判所が平成三年一月二五日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人仲田隆明、同後藤貞人の上告理由及び上告人の上告理由について
本件懲戒免職処分を有効とした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に基づき又は原判決を正解しないで原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 橋元四郎平 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治)
(平成三年(行ツ)第八七号 上告人松田勲)
上告代理人仲田隆明、同後藤貞人の上告理由
第一点 原判決は憲法二一条に違背し、地方公務員法二九条一項一号乃至三号及び同法三三条の解釈につき、判決に影響を及ぼすべきこと明らかな誤りがある。
一 原判決は地方公務員法三三条に「いわゆる官職の信用を傷つける行為や、官職全体の不名誉となる行為のなかには、職務に関する行為のほか、職務と関係のない個人的行為も含まれるものと解すべく、また、右のような行為があったか否かは、社会通念に照らし、具体的に判断をすべきである」とした上、本件について認定した事実(原判決「理由」二項において1~13として認定した事実)のうち、殊に七つの事実から、「控訴人は、共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当であり、仮にそうでないとしても、少なくとも右各犯罪を犯した疑いは充分であって、客観的に右凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をしたものというべきである。したがって、右逮捕・勾留はもとより法律上正当なものであって、控訴人主張の如く不当な逮捕・勾留ではないというべきである」と判示した。
そして「大阪府立高校の教師である控訴人が五六名もの者が凶器準備集合罪、公務執行妨害罪で起訴された成田二期工事阻止等の闘争に参加し、控訴人自身も共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したか、少なくとも右各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をし、かつ右各罪により、現実に二二日間も逮捕・勾留されたことは、高校教育にたずさわる地方公務員としての官職の信用を傷つけ右官職全体の不名誉となる行為をしたものと認めるのが相当である」と結論した。
二 右判示からも分かるとおり、原判決は、上告人が「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯した」と断定している訳ではなく、「少なくとも」「客観的に右凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の各犯罪を犯したと疑うにたりる充分な行為をしたというべきである」としている。右の「犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為」とは一体何を意味するのか不明なところもあるが、それに続く文章からして逮捕・勾留の際に要求される犯罪の嫌疑の存在をさすと理解できる。結局原判決は仮に上告人が共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯していないとしても逮捕・勾留されたこと自体が地方公務員法三三条に反するというのである。
しかし、原判決の右のような解釈は明らかに誤っている。
三 原判決も判示するとおり、「本件において控訴人が本件集会やデモ行進に参加したこと自体は何ら地方公務員あるいは教育公務員としての信用失墜行為の禁止に反する違法なものではない」とすれば、右のような集会やデモ行進に参加したけれども、凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の実行々為をしたことはなく、また、「共謀」により右各犯罪を犯したこともない者は、当然憲法二一条が保障する表現の事由によって保護される。
原判決は「仮にそうでないとしても」と云うが、「そうでない」という意味は「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯していない」という意味であることは明白である。犯罪を犯していないのに逮捕・勾留されることはある。結果的に無罪となれば、逮捕・勾留そのものが全て直ちに違法となるものではないと解されている。しかし、だからといって逆に、逮捕・勾留されたから罪を犯したということになる訳でないのは勿論、逮捕・勾留されること自体が社会的に非難されるべきでないことも当然すぎる程当然なことである。誤認逮捕がなされた場合、非難されるべきは逮捕した側であって逮捕された者ではない。明白な誤認逮捕ではなく、例え逮捕・勾留時点では犯罪の嫌疑があるように見えても、その後にそれが消滅したり、その存在が疑わしくなったりすることは捜査の流動性からままあることである。
したがって、逮捕・勾留されたという事実を犯罪を犯したことと同視することは当然できない。
四 にもかかわらず、原判決は「仮にそうでないとしても(上告人が共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の犯罪を犯していない)」逮捕・勾留されたこと自体が公務員の信用失墜行為に該るというのである。
このような原判決の判断は無実の者であっても、逮捕・勾留されることが非難されるべきであるという前提に立つものであり、到底許容出来ない。百歩譲って、仮に犯罪が成立しなくとも、地方公務員法のいう信用を傷つける行為に該当することがあるとの一般論を承認するとしても、本件は憲法上認められる表現の自由の一環として事前に届出られた集会に参加していた上告人の行為を問題にするものである。しかも原判決自身、前記したとおり、本件集会に参加したりデモ行進をすること自体が何ら違法なものでないというのであるから、上告人に「共謀」による凶器準備集合罪等の犯罪の成立が認められない限り、これを地方公務員法三三条にいう信用を傷つける行為や官職全体の不名誉となる行為と解することは出来ず、同法二九条一項一号乃至三号に該当するとするとも出来ない。
五 したがって、原判決には憲法二一条の違背があり、地方公務員法二九条一項一号乃至三号及び同法三三条の解釈を誤っていることが明白である。
第二点 原判決は憲法三二条、三七条に違背し、刑法六〇条の解釈につき、判決に影響を及ぼすべきことの明らかな誤りがある。
一 原判決は上告人に凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の実行行為がないことを明示的に示していないが、これを当然の前提としていると解される。
ところが、原判決は上告人が「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当であ」ると判示している。(もっとも、原判決は「仮にそうでないとしても……」と述べて右「共謀」の認定が確定的なものでないことを認めているが、その問題点については前述したところに譲り、ここでは共謀の推認の誤りについて述べる。)
二 上告人は本件集会、デモ行進にあたって凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の実行々為をしたこともないし、その共謀をしたこともない旨一審以来(より厳密に云えば、被上告人による事情聴取の時以来)一貫して主張してきた。
ところが、原判決は第一審の判決よりなお一層曖昧模糊とした事実をもとに上告人の「共謀」を認定した。
原判決によると次のような諸事実から上告人に共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を認めることができるという。
<1> 上告人は成田二期工事阻止等のスローガンを掲げた本件集会に参加するに当たり、事前に機動隊員に逮捕されるような事態になることを予想し、本件集会に一緒に参加した宮武と、右逮捕された場合には、互いに各自の家族にその旨連絡したり、勤務先に年休の請求をする等の措置をとること等を打ち合わせていたこと。
<2> 本件集会の会場でデモ行進に備えて参加者にヘルメットが配られ上告人も黒文字で「中核派」と書いた白いヘルメットを着用し、手拭いで覆面をするなどして、右デモ行進に参加する準備をしたこと。
<3> 本件集会終了後、最初にデモ行進に出発した第一陣の集団のほとんどの者が、石、コンクリート破片、鉄パイプ、角材、火炎びん等の凶器となり得るものを所持していたことや、右第一陣の集団の後続としてデモ行進をすべく待機していた上告人らの属する集団のなかにも角材等を所持している者がいたが、上告人は右の事実を知りながら、引き続き右集団の中に留まって、デモ行進に参加すべく待機していたこと。
<4> その後、先にデモ行進に出発した第一陣の集団が、前記の如く、機動隊と衝突して、乱闘状態となったが、上告人は右衝突の騒音を聞いた後も、その場に留まってデモ行進に参加しようとしていたこと。
<5> 次いで、上告人の属していた集団の先頭部分にいた者等が、機動隊と衝突し、乱闘状態となったところ、その後において、その場から逃げようとした上告人は、右乱闘状態となった現場から間近の第一公園内において、凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の嫌疑で、機動隊員に現行犯逮捕されたこと。
<6> 右逮捕されたときの上告人の服装は、中核派と書いた白いヘルメットを被り、手拭いで覆面をし、破れにくいズボン、身体を動かしやすい上着、軍手等を着用し、運動靴を履いていたこと。
<7> 上告人は、右凶器準備集合罪、公務執行妨害罪(その後火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪も追加)の嫌疑で逮捕・勾留された後、終局的には、不起訴処分となったけれども、その理由は「嫌疑なし」ではなく、起訴猶予であったこと。
原判決は右のような事実から、「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯した」というのであるが(右認定された事実の真否の程は一応除外しても)、原判決のこのような認定は憲法三二条、同三七条に違背することが明らかであり、また刑法六〇条の解釈も誤っている。
三 まず指摘しなければならないのは、原判決が「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪」というときの「凶器準備集合罪」と「公務執行妨害罪」がそもそも明らかでないということである。原判決はいわゆる第一陣の集団の者の行為を凶器準備集合罪と公務執行妨害罪と捉え、上告人がこれらの者と「共謀」したというのか、それとも、上告人らの属する集団のうちの一部の者の行為を凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の実行々為ととらえ、それらの者と上告人が共謀したというのかすらも明らかでない。
もし、前者とすればいわゆる第一陣の集団と上告人の間に、いつ、どこで、どのような謀議があったのかが当然明らかにされなければならないところ、原判決のどこを見ても、その事実を明らかにしたところはない。
またもし後者とすれば、いわゆる第一陣の集団が仮に石等凶器となりうるものを所持していたとしても(さらに上告人にその認識があったとしても)、いわば関係のない状況を認識していたにすぎないから、そのようなことを根拠に上告人と上告人らの属する集団の一部との共謀を認定しうるものではない。原判決は前記のとおり<1>~<7>までの諸事実をあげるが、原判決のいう「共謀」が後者のそれとすれば、結局のところ、上告人が「共謀」ありとされたのは、集団の一部が角材を持っているのに逃げ出さなかったことと、いわゆる第一陣の集団が機動隊と衝突している騒音が聞こえたあとも逃げ出さなかったということに尽きる。それ以外の事実なるものは直接的にも間接的にも上告人の「共謀」を証するものではない。
しかも、そもそも、共謀の存在が認められる場合に、そこから離脱しないということで共謀責任を認めるというのなら理解できるが、離脱しなかったということを共謀認定の根拠とすること自体に無理がある。
結局第一審、原審で取調べられた証拠によって「共謀」を認定することは到底出来ないのである。
四 前記のとおり、原判決のいうところの「共謀」は、事前共謀なのか、現場共謀なのか、第一陣の集団との共謀なのか、上告人の属していた集団の一部の者らとの共謀なのか、あるいは「謀議」の内容はどのようなものなのか等が一切明らかでない。
しかし、上告人に共謀があるというかぎりは、その共謀は厳格な証明によらなければならない(最高裁昭33・5・28判決―刑集一二巻八号一七一八頁)。本件は刑事々件として審理されているものではないが、刑事々件として審理されていないからといって、右のように「共謀」の内容が全く不明なまま裁判所から「共謀」ありとされることは、上告人から憲法三二条の定めた裁判を受ける権利を奪うものである。また右のような共謀の認定は、刑法六〇条の解釈を誤ったものと言う他ない。
さらに原判決が共謀を認定した根拠となる前記<1>~<7>の事実のち、逮捕・勾留の理由、状況等は殆ど被上告人の職員が警察や検察庁から聞き知ったこと及び警察、検察庁への照会に対する簡単な回答によるものであるが、警察や検察庁の話や回答の一部は勿論伝聞によるものであるところ、上告人は上告人の行為を目撃した者の供述を弾劾することができない。通常不起訴事件については検察庁は裁判所からの記録取寄にも応じないが、本件については文書での回答のみならず、警察官、検察官が被上告人職員に対して何の自制もなく、伝聞にかかる事項にわたる情報を一方的に提供している。しかも、上告人はこのようにして一方的に捜査当局によってなされた決めつけに対してその真否を弾劾して防禦することが不可能である。刑事々件として不起訴となったにもかかわらず、「起訴猶予」という結論と被疑事実のみがその正当性の吟味を全く抜きにして一人歩きしてしまっているのが本件である。
憲法三七条に違背しているといわねばならない。
五 以上のように原判決には憲法三二条、三七条違背、刑法六〇条の解釈の誤りがある。
以上
(平成三年行(行ツ)第八七号 上告人松田勲)
上告人の上告理由
はじめに
原判決には、憲法一四条、同二一条一項、同三一条の違背があり、かつ地方公務員法二九条の解釈を誤り、さらに経験法則並びに採証法則違反による事実認定を行っていて、それらがために判決に影響を及ぼすことは明らかな違法が存する。
一 原判決の骨子と問題点
原審判決は、上告人が参加した一九八五年一〇月二〇日に千葉県成田市三里塚第一公園(以下「第一公園」という)で開かれた「成田空港二期工事阻止、不法収用法弾劾、東峰十字路裁判闘争勝利全国総決起集会」(以下、「本件集会」という)とその後に予定されていたデモについて誤った予断にたった重大な事実認定の誤りをおかし、上告人にたいする本件集会当日の逮捕(以下、「本件逮捕」という)とその後の勾留の適法性について判断を誤り、また、上告人にたいしてなされた同年一二月一九日付け懲戒免職処分(以下、「本件処分」という)を適法になされたものとしている。
原審判決は、本件集会が三里塚芝山連合空港反対同盟(以下、「反対同盟」という)の主催のもと、全国各地の住民団体や婦人団体、「障害者」団体、労働組合など、多種多様な人々が参加した集会であったことをみとめて、上告人がこれに参加したことについては、「本件において、控訴人が、本件集会やデモ行進に参加したこと自体は何ら地方公務員あるいは教育公務員としての信用失墜行為の禁止に反する違法なものではない。」(原判決第三一丁)と認めている。しかしながら、上告人について、「過激派集団」と行動をともにして「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当であり、仮にそうでないとしても、少なくとも右各犯罪を犯した疑いは充分であって、客観的に、右凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をしたものというべきである」(同第二九丁)としている。その根拠として七点をあげているが(同「理由」の三項)、いずれも明確な証拠となるべきものではなく、せいぜいのところ「疑うに足りる行為」というにすぎない。にもかかわらず、原判決は、処分理由となる行為の認定について「右のような行為があったか否かは、社会通念に照らし、具体的に判断をすべきである」(同第二七丁裏)として、客観的証拠によることなく「社会通念に照らし」、「疑うに足りる」というだけで本件処分を適法と判じているものである。
さらに原判決は、「疑うに足りる行為」を繰り返し強調し、本件逮捕について「もとより法律上正当なものであ」(同二九丁裏)るとしているのであるが、結局のところ、そのことだけでもって本件処分についても適法になされたとしている。
ところで、このような原判決の判断の背景には、本件逮捕にいたる第一公園とその周辺の状況についての事実誤認と成田空港反対闘争そのものについての誤った予断があったといわなければならない。原判決では本件集会後に上告人が逮捕されたことに関して、三里塚第一公園付近でのデモ隊と機動隊の衝突が、三里塚十字路付近での激しい衝突が徐々に迫ってきた結果のものであるとしており、それが「共謀による」という一審判決以来の誤った判断を引き起こしている。これは、一審での宮武章治証言、原審での北原鉱治証言、萩原進証言および一審と原審での上告人本人の証言について「信用できず」(同一九丁裏)とした結果の事実誤認といわなければならない。
また、最高裁判所第三小法廷の昭和五二年一二月二〇日付判例を引用して「公務員に対する懲戒処分の適否を審査するにあたって」は「社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法と判断すべき」(同第三三丁)としているが、処分事由とされている事実関係について重大な誤りを犯し、かつ、それを前記「社会通念」でもって強引に「疑うに足りる行為」で置き換えているのであって、到底、これを認めることはできない。
なお、被上告人が主張してきた職務専念義務違反については、原判決の一部で触れているもののこれを違反とは判断していない。
原判決が上告人の請求を却下した論拠は以上の諸点につきるものと考え、以下、この展開にそって批判することにする。
二 原判決への批判
1 本件集会とデモ行進の全体像に関する理解について
すでに述べたように、原判決は本件集会が「空港反対同盟をはじめ、関西新空港反対住民代表、動労千葉、部落解放同盟、佐世保・小松ファントム訴訟団、全学連中核派、解放派などの過激派グループ等各種共闘団体併せて約四〇〇〇名が参加」(原審判決第二〇丁)した事実を認めている。しかし、全体の趣旨からみるに、やはりこの点を過小に評価しているといわなければならない。三里塚空港反対運動は、本件集会までにすでに二〇年近くの歴史をもち、その間全国の住民運動の象徴的存在でありつづけた(証拠略)。そして一期工事分の空港開港以後、本件集会の日取りである一〇月下旬など定期的に全国総決起集会が開かれるようになってからも、この種の全国集会には各地の住民団体など多種多様な団体が参加してきており、本件集会もまた同様であった。このことは原審萩原進証人と北原鉱治証人の証言などで明らかである。また、本件集会と同様のこの種の集会後のデモは、部分的に不当逮捕がなされる等のことはあっても、主催者である反対同盟の指揮のもとに全体としては毎回平穏のうちに行なわれてきたのであり(人証略)、この点も充分に考慮しなければならない。したがって、デモ行進に参加したなかの一部のグループの行動によって本件集会とその後のデモの全体について判断することはできない。
以上のことは上告人と三里塚十字路付近で機動隊と衝突したデモ隊との間の「共謀」関係の判断にかかわって重要な点である。特に一審判決の「黙示のそれ(共謀関係)」(一審判決第一四丁という推定の基底にはこの点を誤ったことがあったのである<証拠略>)。原判決は「仮にそうでないにしても」(原判決第二九丁表)としてこれを断定的には判断していないものの、「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当」としているのであるが、その際、この点は全く無視して、認定事実のなかから「特に」として被上告人が恣意的にあげてきた項目を七点あげてその推認根拠としようとしている(同第二七ないし二九丁)。この七点については次に述べることにする。
2 共謀による犯行論の背景的な推定根拠について
本件処分の適法性をめぐって、核心的な問題は、原審判決が強調している「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当であり、仮にそうでないとしても、少なくとも、右各犯罪を犯した疑いは充分であって、客観的に、右凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をしたものというべきである」(原判決第二九丁)という点にある。原判決はこのことを、実に、五回も繰り返している。その根拠としてあげている七点のうち、核心にかかわる三点を除く四点の背景的な推定根拠について、以下、原判決を批判することにする。
<1> 上告人が本件集会とその後のデモに参加するに際して、「機動隊に逮捕されるような事態になることを予想し、本件集会に一緒に参加した宮武と右逮捕された場合には、互いに各自の家族に連絡したり、勤務先に年休の請求をする等の措置をとること等を打合せていた」ことについて。この点は、上告人の(第一審本人調書略)にみるとおり、常に不当逮捕の可能性があった三里塚闘争に何度も参加してきた者にとっては、ことさら本件集会に際して行なわれたこととはいえない。なぜなら、本件集会と同種の全国総決起集会が、通常平穏に行なわれてきたとしても、部分的には不当弾圧が常々おこなわれてきたのであって、蓋然性としてはともかく、不当逮捕の可能性はあったのである。また、このような打合せが本件集会の前に再確認されたとしても、それは、本件集会およびその後のデモ行進において機動隊と何らかの衝突をするというような内容を含んだ「共謀」そのものとは明らかに違うのであって、これをもって共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと「疑うに足りる充分な行為」の根拠とすることはできないのである。
被上告人は「逮捕されるような危険な集会に参加したこと」を非難してきたのであるが、この立場は、三里塚闘争には一切参加すべきでないとすることと等しいのであって、原判決がいう「思想、信条の自由や、集会、結社、表現の自由は、憲法に保障された国民の基本的人権として、最大限に尊重されなければなら」ないということと、結局のところ矛盾することとなる。不当逮捕される危険性がある集会、デモに参加することと、具体的な犯罪行為ないしはそれを疑われるに足りる行為をすることとは明らかに異なるのであって、この区別は絶対に守られなければならない。
<2> 本件集会の会場で、参加者にヘルメットが配られ、上告人もこれを着用したことについて。これは、本件集会と同種の三里塚現地で行なわれてきた全国総決起集会では通常のことであって、本件集会での格別のことではないし、そもそもヘルメット自体は防具にすぎないのである。三里塚闘争においては、反対同盟の農民も、一九六八年二月の成田市での抗議行動において機動隊に襲撃、暴行され、負傷するにいたって、以後ヘルメットを着用するようになってきたのであって(証拠略)、上告人が同様のものを着用していたとしても、それが格別のことを意味するというものではない。原判決は、これを格別に取り上げることで上告人と三里塚十字路付近で機動隊と衝突した一部のデモ隊との行動の連携性ないしは一体性を推量し、「共謀」関係を印象付けようとしているが、これは明らかに不当な予断、偏見に基づくもので、判断を誤ったものである。
<3> 「本件集会終了後、最初にデモ行進に出発した第一陣の集団」(同第二八丁、以下「第一陣の集団」という)のほとんどのものが、石、鉄パイプなどの凶器となりうるものを所持していたこと。さらに、「右第一陣の集団の後続としてデモ行進をすべく待機していた」上告人らの集団(以下、「待機していた集団」という)のなかにも角材等を所持している者がいたこと。にもかかわらず、上告人は引き続き右集団の中にとどまってデモ行進に参加すべく待機していたことについて。この点は核心にかかわるものとして本項の3、4で別に批判する。
<4> 「第一陣の集団」が三里塚十字路付近で機動隊と衝突した後も、その衝突の騒音をききながら上告人は「その場に留まってデモ行進に参加しようとしていたこと」については、核心にかかわるものとして、本項の3、4で別に批判する。
<5> 「待機していた集団」の一部が機動隊と衝突したあと、その場から逃げようとした上告人は、第一公園内で凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の嫌疑で、機動隊員に現行犯逮捕されたことについても、本項の4で述べることにする。
<6> 本件逮捕のときの上告人の服装が白いヘルメット、手拭いの覆面、破れにくいズボン、身体を動かしやすい上着、軍手、運動靴を着用していたことについて。これは、前述のヘルメットも含めて、三里塚闘争での普通のデモスタイルであって、本件集会後のデモのための格別の服装とはいえないものである。ヘルメットがそもそも防具にすぎないものであることはすでに述べたが、「手拭の覆面」というのもデモ参加者を写真撮影等で特定し、不当な弾圧をさせないための通常のものである。また、本件集会後のデモコースは解散地点付近は当時、舗装もされていない農道となっており、「破れにくいズボン」や「身体を動かしやすい上着」「運動靴」などが格別の服装であろうはずはないのであって、通常のデモスタイルにすぎない。これを「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪」の根拠とすることなど、できないものである。
<7> 本件逮捕後、上告人は終局的には不起訴処分となったけれども、その理由は「嫌疑なし」ではなく、起訴猶予であったことについて。この「起訴猶予」という点については、一審の旗生証人の証言ででてきたものであり、それじたいが旗生孝等が千葉地方検察庁で口頭の説明を受けたとされる伝聞証拠にすぎないものである。さらに、そもそも「起訴猶予」なるものは検察官が恣意的に分類している事項にすぎず、本件逮捕に関する上告人にたいする公式の処分は単なる「不起訴処分」であったのである(証拠略)。これは、処分事由とされている行為を認定するために必要と原判決が認めている「具体的事実」といえるようなものではなく、何の証拠にも基づかない検察官の推測による恣意的分類を伝聞で知ったというものにすぎないのである。この点について、原判決で「ほかに右認定を左右するに足りる証拠はない」(同第一九丁裏)とされても、もともと上告人には、かかる推測による恣意的判断の伝聞を否定するための立証能力など持ちえないのであって、このことをもって上告人が「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当」とすることはできない。
以上にみたとおり、原判決が右推認の根拠としているものは、その核心点にかかわる三点を別とすれば、いずれもかかる推認の根拠となるようなものではなく、本件集会と同種の三里塚現地で開かれてきた定期的な全国総決起集会でも同様であったものにすぎないか、あるいは<7>のように、そもそも「具体的事実」とはいえないものである。このような事項を具体的で慎重な判断を欠いたまま羅列することは、重大な判断の誤りを結果することになりかねない。原判決は右推認の根拠から、本件集会場の背後に出されていた「空港突入」などのスローガンや、本件集会に先立って大阪府豊中市で開かれた「二期粉砕!空港廃港!一〇・二〇三里塚現地へ!一〇・八 三里塚大集会」に送られたメッセージのなかの同内容の字句をはずすなど、一審判決と対比して、若干慎重な姿勢は認められるものであるが、なお、本件集会と三里塚闘争に対する誤った予断、偏見をもって出されたものであるといわなければならない。
3 三里塚十字路での機動隊との衝突と第一公園での衝突の関係について
原判決は、上告人に対して「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪犯したと推認するのが相当であ」(原判決第二九丁)るとする根拠の三点目に「本件集会終了後、最初にデモ行進に出発した第一陣の集団のほとんどの者が、石、コンクリート破片、鉄パイプ、角材、火炎びん等の兇器となり得るものを所持していたことや、右第一陣の集団の後続としてデモ行進をすべく待機していた控訴人らの属する集団のなかにも、角材等を所持している者がいたが、控訴人は、右の事実を知りながら、引き続き右集団の中に留まって、デモ行進に参加すべく待機していたこと」(同第二八丁)をあげていることについて、以下、批判する。
第一に、ここでいう「第一陣の集団」に関することは本件集会参加者のすべてが現認しえたことである。そして、これを現認したものすべてについて「第一陣の集団」との共謀関係を問うことはできないということは、被上告人が平成二年八月二八日付け準備書面五丁で、「反対同盟の第一公園内で待機するようにとの指示にしたがって同公園内で待機していた大部分の参加者」などが第一公園前で待機していた集団と同一に論じることができないとしていることで、認めている通りである。このことは上告人についても同様なのであって、「第一陣の集団」が「凶器となり得るものを所持していたこと」を知っていたということで右集団との共謀関係を云々することはできないのである。したがって、問題は、前出の「右の事実を知りながら、引き続き右集団の中に留まって、デモ行進に参加すべく待機していたこと」が共謀関係を認定するの根拠となりうるのかどうかでなければならない。
第二に、「待機していた集団」のなかに角材等を所持していた者がいたことについては、本項の4で述べるが、この点においても、それだけで共謀関係の根拠とすることはできず、上告人がその「待機していた集団」の中に留まり、「デモ行進に参加すべく待機していたこと」が問題となるものである。
ところで、上告人が「デモ行進に参加すべく待機していたこと」について正しく判断するためには、第一公園付近と三里塚十字路付近での「第一陣の集団」と機動隊との衝突の全体について正確な判断が必要である。この点、原判決は「第一陣の集団が、三里塚交差点付近において前述のように機動隊と衝突しており、控訴人らのいるところからも、その衝突や乱闘の騒音が聞こえていたが、次第にそのデモ隊と機動隊との衝突にともなう騒ぎと混乱が第一公園付近に迫り、第一公園周辺の路上にも機動隊が現れて、警備に当たった。そして、第一公園付近に待機していた控訴人の属する集団を含むデモ隊の中からも、機動隊に角材等で応戦する者があって、第一公園付近でもデモ隊と機動隊との衝突が起こり、機動隊に立ち向かうデモ隊と放水やガス銃でこれを鎮圧しようとする機動隊とで乱闘状態になった」(同第二四丁)としている。ここでまず、原判決は、上告人が属していた集団と機動隊との第一公園付近での衝突が、三里塚交差点付近での「第一陣の集団」と機動隊との衝突と連続して起きたものだとしている。これは一審での宮武章治証人の証言や一審と原審での上告人本人証言で明らかにされたことを、何の根拠もなく無視したものであって、全くの事実誤認である。そもそも、被上告人においてもそのような事実認識を主張したことはないし、一審判決でもそのような認定はなされていない。
まず、事実関係を、証拠に基づいて明らかにすると、上告人らの集団は、当日午後四時過ぎに「第一陣の集団」がデモに出発してからしばらくして、第一公園北側の出口から第一公園前の路上に出て、出口からやや西の位置で待機することとなった。本件集会と同種の全国総決起集会後のデモでは、主催者である反対同盟が指示した出発順序にかかわらず、出口付近の隊列から路上に出て、先行のデモ隊のために道をあけ、その間待機することは、通常のことだった(証拠略)。ところが、本件集会後のデモについては、「第一陣の集団」がデモコースにそって三里塚十字路まで進んだところで機動隊と衝突したため、その後のデモ隊はそれ以上進むことができず、デモ隊全体の後方からつづく予定でいた上告人らを含むデモ隊は、その後相当の時間、その場に待機しつづけることとなったのである。上告人と宮武証人の証言によると、第一公園を出た当初、先に進めなくなったデモ隊が三里塚十字路付近から第一公園前まで埋まった状態であったが、その後時間の経過とともにそのデモ隊の数は減少し、まばらとなっていった(証拠略)。
そのデモ隊がどこに移動したのかは不明であるが、いずれにせよ、上告人らを含むデモ隊は待機したままで同じ場所にとどまっていたのである。
その後、一時、第一公園前路上の西方向、すなわち三里塚十字路とは反対方向の、相当離れた地点に機動隊が現れ、その間、上告人らを含む「待機していた集団」と向きあうかたちとなったが、いずれの側からも衝突を起こすような動きはなかった(同第一二丁裏、一三丁表)。その後、この機動隊は北方向に移動し、上告人らからは姿が見えなくなる。それからさらに時間が経過した後に、第一公園前路上の北側の路地を遮蔽していた簡易トイレの陰から、上告人らの「待機していた集団」に向かって、突然、機動隊がガス銃を撃ちながら現れた。そこで「待機していた集団」と右機動隊との間で比較的短時間の衝突が起き、その頃には第一公園内に東方向から放水やガス銃をうちながら別の機動隊が乱入しはじめていた。その直後、第一公園前路上の衝突現場から逃げようとした上告人は、第一公園内の南側出口付近で機動隊によって逮捕されることになる。その時刻は午後五時八分とされている(証拠略)。
以上の事実経過からすると、「待機していた集団」が第一公園前路上の公園北側出口からやや西の位置に待機していた時間は、午後四時過ぎから午後五時八分より少し前までの、最大にみて一時間、少なく見積もっても三〇分以上の時間になるとしなければならない。この間、上告人らは、三里塚十字路付近での機動隊との衝突がおさまり、デモが予定通り行なえるようになるか、あるいは別の方針が出されるのを待機して待っていたにすぎないのであって、「第一陣の集団」に続いて三里塚十字路付近での機動隊との衝突に加わろうとした形跡は全くないのである。また、三里塚十字路とは反対方向にあらわれた別の機動隊と衝突しようとした形跡も全くない。なお、第一公園内に留まっていたデモ参加予定者は、主催者である反対同盟の指示によって、第一公園南側から出て三里塚十字路を迂回してデモの解散地点に移動することとなり、その移動途中で前述の第一公園東側からの機動隊の乱入を受けたとされている(証拠略)。しかし、この反対同盟の指示は上告人らには聞こえず、その結果、上告人は第一公園前で機動隊と衝突が起こるころになって、公園内で待機していたデモ参加予定者が少なくなっていた事実に気付いている。このことは、第一公園が一万人以上の人員が入れるほどの規模の大きな公園であること、上告人らが三里塚十字路方向の衝突の動向に注意を払っていた事情などから十分にありうることである。以上の結果、上告人らの「待機していた集団」は、「第一陣の集団」と共謀して機動隊に対して凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯すような意思もなく、そのような行動をとった形跡もなかったとしなければならない。
また、(証拠略)の成田空港周辺地図の縮尺によれば、第一公園の北側出口から三里塚十字路までは約二〇〇メートルの距離に相当し、「待機していた集団」の位置から三里塚十字路付近は通常でも見通すことはできず、その間にいた後続のデモ隊がまばらとなった後でも、催涙ガスの白煙によって、どのような衝突が起きていたのかは上告人らは見ることができず、ようやく、ガス銃の発射音などを聞くことができたにすぎない(証拠略)。
以上のような事実関係に則してみたとき、上告人らが「第一陣の集団」と共謀関係にあったとすることはできないとしなければならない。もし、原判決のいうように、「次第に(三里塚十字路付近での)デモ隊と機動隊との衝突にともなう騒ぎと混乱が第一公園付近に迫」っていったのであったとするなら、三里塚十字路方向から後退してきたデモ隊と上告人らの「待機していた集団」が合流するかたちになったはずであるが、そのような証言はないのである。また、上告人を含む第一公園内とその付近で逮捕された約一〇〇人にもおよぶ逮捕者は全員不起訴処分とされている(原判決第二五丁)のであり、三里塚十字路付近での逮捕者とは明確に区別された処分を検察官から受けているのであるが、このことは原判決の右事実認定と明らかに矛盾するといわなければならないのである。
ところで、以上の事実関係は、原審での一九九〇年一一月一日付け最終準備書面で上告人が主張したものであるが、原判決では、この事実関係を明らかにした一審での宮武章治証人、原審での北原鉱治、同じく萩原進の各証言調書と原審と一審での上告人本人の証言調書の各相当部分について信用できないとしている(原判決第一九丁)。しかし、そのなかのどの部分が他の証言と矛盾するというのかは、全く明らかにされておらず、また、他の証拠を採用してこれらの各証言を信用できないとする根拠も明らかにしていない。また、そもそも、「次第に(三里塚十字路付近での)そのデモ隊と機動隊との衝突にともなう騒ぎと混乱が第一公園付近に迫り」(同第二四丁)という事実関係の認定は、被上告人から出されたものでもなく、一審判決が認定した事実でもないのである。したがって、原判決が右事実認定をしていることは何の証拠にも基づかない憶測にすぎないのであって、その憶測によって「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認するのが相当」(同第二九丁)とすることなどできないのである。
4 上告人の行動と本件逮捕の不当性について
次に問題になることは、「待機していた集団」と機動隊との第一公園前路上での衝突について、上告人と「待機していた集団」のなかの機動隊に応戦した部分との共謀関係についてである。
確かに、上告人の属していた「待機していた集団」のなかに、角材を所持していた者が一部含まれていた。そのことをもって、原判決は被控訴人の主張を認めて「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯した」と推認している。しかしながら、第一に、この集団は、最後まで三里塚十字路付近の衝突現場には向かおうとせず、一時間ないし三〇分にわたって待機していたのであって、反対方向に現れた機動隊に対しても、これと衝突するような行動を一切とらなかったのであって、右犯行のためのあらかじめの共謀関係が成立するとはいえないのである。さらに、第二に、「待機していた集団」と機動隊との衝突は、すでにみたように、突然、遮蔽物の陰から出てきた機動隊の一方的な襲撃から起きたものであって、「待機していた集団」の一部がとっさに対応したという以上のものではないのである。このような事態が、あらかじめ予測されていたはずもなく、共謀関係は成立しえないのである。第三に、この「待機していた集団」のうち一部だけが角材等を所持していたことについて考えてみても、「第一陣の集団」がほぼ全員「凶器となり得るもの」を所持していたのとは明らかに異っているのであって、原審で北原鉱治証人が証言しているように、三里塚十字路付近から逃れてきたという可能性もあり(北原鉱治の原審証言調書第一六丁)、また、公園前路上の西方向に機動隊の姿をみた「待機していた集団」の一部が、防御のためにとっさに所持するようになったとも考えられるものである。いずれにせよ、このことをもって上告人との共謀関係を推認することは、上告人ら「待機していた集団」総体の行動全体を勘案したとき、これを相当とすることはできない。
以上のように上告人と「待機していた集団」の行動についてみたとき、本件逮捕そのものについて、重大な疑義が出てくるとしなければならない。すでにみたように、本件逮捕は第一公園内とその付近での約一〇〇名にもおよぶ一斉逮捕の中のことであり、その逮捕者すべてが不起訴処分とされ、釈放されるにいたっている。このことは、本件逮捕と同様に、この第一公園内とその付近での大量逮捕がすべてその犯行を立証できなかったということであって、全くの無差別に行なわれた不法なものであった可能性が、相当に大きいとしなければならない。その上、本件逮捕と同時に、右大量逮捕のなかで反対同盟農民の一人であり、本件集会の司会をつとめた島村不二子までが第一公園内で逮捕されているのである。原審での萩原進証人、北原鉱治証人の証言で明らかなように、島村不二子が「第一陣の集団」や「待機していた集団」の一部と共謀関係にあった可能性はないのであって、このことだけでも本件逮捕とそれを含む右大量逮捕は不法な無差別逮捕だとしなければならない。さらに、本件逮捕の「逮捕事実」が、乙第一四号証に明かなように、「多数の石を投げつける暴行」だけであるということは、具体的証拠があった上で「起訴猶予」とされたのではなく、角材等で応戦したとする具体的な証拠が全くないその他大勢のなかの一人でしかなかったことを暗に示すものということもできるのであり、この点からも無差別逮捕の疑いがでてくるのである。このことは、原判決がいうような「独自の見解」(原判決第三四丁裏)などではなく、一審での宮武章治証人、原審での萩原進証人、北原鉱治証人、そして一審と原審での上告人本人の証言をどのように疑おうとも、残された争いの余地のない証拠から判断しうる帰結なのであって、むしろ、これを否定するだけの証拠は存在しないのである。
以上、本項の3以降に述べてきたことの結論は、上告人と「第一陣の集団」ないし「待機していた集団」のなかの機動隊にたいして応戦した部分との共謀関係を明らかにする証拠はないということである。また、上告人はこの逮捕後に二三日間の勾留を受けたものの、不起訴処分で釈放されているのであって、凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の嫌疑は立証されなかったのであり、また、一審および原審での証拠調べにおいても、これを立証するような証拠はなかったのである。たとえ起訴された被告であったとしても、有罪が確定するまでは無罪の推定を受けるのであって、逮捕されたというだけで有罪の推定を受けるなどということは認められない。また、逮捕され、勾留されたというだけで不起訴となっており、その後においてもその嫌疑が立証されていないのに、その責任を問われるようなことは、憲法第三一条に照らして、あってはならないのである。もちろん、右嫌疑で現行犯逮捕されたのである以上、その限りで上告人が凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと機動隊員から疑われたと推定することは可能である。これは、機動隊員による本件逮捕自体は適法であったとすることにはなりうるとしても、機動隊員から疑われたことをもって懲戒事由とすることは、当然、認めることはできないものである。その上さらに、本件においては、近くにいたというだけで逮捕したという、いわば意図的な誤認逮捕であった可能性すらあるのであり、好意的に解釈しても、すでにみてきた事実関係からして、不法な無差別逮捕であったと疑わざるをえないのである。ところが、原判決は、上告人が「凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯した」とする証拠が全くないにもかかわらず、これを「犯したと推認することが相当であり、仮にそうでないとしても、少なくとも、右各犯罪を犯した疑いは充分」(原判決第二九丁)であるとしている。この「推認することが相当であり」とか、「仮にそうでないとしても」という言い方は、先にその事実誤認を指摘した「次第にそのデモ隊と機動隊との衝突にともなう騒ぎと混乱が第一公園付近に迫り、第一公園周辺の路上にも機動隊が現れて、警備に当たった」(同第二四丁)という誤った推測にたった事実認定と、上告人の本件逮捕時の服装などだけで判断することが無理であるからこそ、このようにいわなければならなかったものである。
してみると、上告人にたいして「凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をした」(原判決第二九丁裏)とされているのも、結局のところ第一公園前路上の「待機していた集団」から離脱しなかったということを指しているにすぎないのである。これは、すでにみた事実関係から、本件集会後の適法なデモ行進への参加を予定していた上告人が、デモが正常に開始されるまでその場で待機しつづけていたということにすぎないのであり、その後の「待機していた集団」の一部と機動隊との衝突に際しても、上告人は被上告人からの事情聴取以来一貫して「法に問われるような行動を十月二十日の成田闘争で取った覚えはありません」(証拠略)と主張しているのであって、これを否定する証拠はなく、衝突に際してその場から離脱しようとしていたところを無差別に逮捕されたということなのである。
なお、本件逮捕とその後の勾留について、原判決では「凶器準備集合罪、公務執行妨害罪(その後火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪をも追加)の嫌疑」(同第二九丁)。他に同第二五丁表にも同趣旨の文面がある)であったとされている。これは、上告人にたいする先の「疑い」を強調するかのようにいわれているが事実誤認である。一審での旗生孝証人の証言調書にしたがった認定と思われるが、上告人本人は逮捕時に火炎びんの使用等に関する法律違反の容疑も通知されており、その後の勾留延長に際しては凶器準備集合罪と公務執行妨害罪のみが記載されていたと証言している。本件逮捕に際して、千葉県警が無差別に凶器準備集合罪、公務執行妨害罪と火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反をあてたものの、第一公園内とその付近では火炎びんは一切使用されなかったことから、その後、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の容疑がはずされたとするのが、すでにみた事実関係と乙第一四号証の示すところに則しているのである。
5 処分事由としての事実認定と「疑うに足りる行為」について
そもそも、公務員に対する懲戒処分の決定には、処分事由について具体的な事実に基づいておこなわれなければならないものである。ところが、被上告人は「過激集団の一員として行動を共にし、公務執行妨害罪、凶器準備集合罪及び火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の罪で現行犯として逮捕され、同年一一月一一日まで千葉県船橋西警察署に勾留された」(証拠略)ことを処分事由としてあげているのみであって、その「行動」について一審、原審を通して具体的な事実に基づいた立証をおこなうことができなかったのである。にもかかわらず、原判決は「共謀による凶器準備集合罪、公務執行妨害罪を犯したと推認することが相当であり、仮にそうでないとしても、少なくとも、右各犯罪を犯した疑いは充分であって、客観的に、右凶器準備集合罪、公務執行妨害罪の各犯罪を犯したと疑うに足りる充分な行為をしたものというべきである」(原判決第二九丁)として、その処分を適法と認めている。
これは、犯罪を犯したという事実を認定できなかったのであって、結局のところ「疑うに足りる充分な行為をした」というだけで懲戒事由が存在するとするものである。これは明らかに、具体的事実に基づいて懲戒事由を判断することをないがしろにするものであるといわなければならない。それを合理化するために原判決は、処分事由となるべき「その官職の信用を傷つけ、又は、官職全体の不名誉となるような行為」(同第二七丁裏)について、「右のような行為があったか否かは、社会通念に照らし、具体的な判断をすべきである」(同第二七丁裏)としているが、このように事実判断にまで「社会通念」を導入することは許されないものである。懲戒処分の適否を判断するときに、「懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである」(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決)としても、この「社会観念」は、あくまで具体的事実に基づいた恣意的でない判断にたって「国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行なうかどうか、懲戒処分を行なうときにいかなる処分を選ぶか」(同前)というときのことでなければならないのである。原判決のように、これを事実判断そのものにまで適用して懲戒処分をするということは、まさしく懲戒権の恣意にわたる濫用なのであって、社会観念上著しく妥当を欠くものであって、理由不備の違法を犯したものといわざるをえないものである。
このように、懲戒事由について具体的な非行行為を確定することもないままに「過激集団の一員として行動を共にし、公務執行妨害罪、凶器準備集合罪及び火炎びんの使用等に関する法律違反の罪で現行犯として逮捕され、同年一一月一一日まで千葉県船橋西警察署に勾留された」ことを懲戒事由とすることは、結局のところ、逮捕、勾留されたこと自体をもって懲戒事由としたに等しく、上告人がその後、不起訴処分となっていることを考えれば、本件処分は社会観念上も妥当を欠くものであって、懲戒権を濫用したものといわざるをえず、原判決は地方公務員法第二九条の適用解釈を誤ったものとしなければならない。
6 職務専念義務違反に関して
被上告人は、本件処分の処分事由に「職務に専念する義務に違反するものである」(証拠略)をあげている。この点について、一審判決は一切言及せず、また、原審判決でも本件処分の適否の判断にかかわっては触れていない。ただ、事実認定に際して「控訴人が二〇日以上も引き続き休んだことが、法律上認められた年休権の行使であるにしても、右東豊中高校としては、控訴人が右の如く休んだことにより、現実に多大の迷惑を受けた」(原判決第二六丁)としている。これは、原判決が、上告人の本件逮捕後の年休取得について、法律上定められた年休権の行使であることを認めたものとすることができる。しかし、かならずしもこの点は明確でない。
上告人は知人である宮武章治を通して有給休暇の申請を行なったが、その際、勤務先である大阪府立東豊中高等学校の豊田一義校長は、甲第三号証の受領印に明かなように、それを一旦受理しているのである。その後、豊田校長は、一一月二日付けで年休不承認の通知を発しているが(証拠略)、すでに受理した後の措置であって法解釈上疑義のある時期変更権の行使としても認めることはできないものである。ましてや、それが恣意的に出された休暇届ではなく、勾留中であって、出勤したくてもできない事情があったのであり、その事情を承知していながらこれを不承認とすることは、時期の変更を求める意味がないものである。また、その理由としてあげている「校務運営上に支障がある」(同前)についても、豊田校長の証言においても、不承認とした同年一一月六日以降、上告人が出勤した前日までの期間について格別な支障についてあげることができず(証拠略)、同月一三日以降、同校長が上告人にたいして無期限の「自宅研修及び謹慎」の職務命令を出している事実(証拠略)や、欠勤中に同校国語科で行なっていた通例の代替措置(証拠略)から考えて格別の支障があったとは認められないものである。
以上の事実から判断して、本件逮捕後の勾留中の上告人の欠勤は、法に定められた年休権の行使として認めなければならず、この欠勤を理由にして「職務に専念する義務に違反するもの」とすることはできないのである。昭和六三年一一月一日付けで最高裁第三小法廷で確定した昭和六一年六月三〇日付け東京高等裁判所昭和五七年(ネ)第二四五一号停職処分無効確認等請求事件判決において、同高等裁判所は、同事件の被控訴人が逮捕、勾留されたというだけでは、公務執行妨害罪を犯したと断定するに足りず、また、不起訴で終わっている当該事例の場合、逮捕、勾留につき被控訴人本人の責めに帰すべき理由があったとは当然には推定されないから、同事件の控訴人は、被控訴人の欠務について届け出があった以上、これを不承認とすることはできない旨、判示している(右判決第二一丁~二四丁)。逮捕、勾留され、不起訴で終わっている本件においても、その欠勤について、上告人本人の責めに帰すべき理由があったとは当然には推定されない点は全く同じなのであって、豊田校長による年休不承認はこれを認めることはできず、したがって、本件においても職務専念義務違反は成立しないのである。
7 懲戒処分の適法性について
原判決は、最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決(民集三一巻七号一一〇一頁)を引用して、本件懲戒処分について「社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえず、懲戒権者に任された裁量権の範囲を越えこれを濫用したものと認めることはできない」(原判決第三四丁)と結論づけている。しかし、右最高裁判決では「もとより、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然である」としており、更に「それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合」には違法であるとしているのである。
これを本件についてみるとき、第一に、本項の5で述べたように、原判決は、具体的証拠に即して事実関係を明らかにした上で本件懲戒処分を適法と認めたものとはいえず、懲戒事由そのものについて「社会通念」などというあいまいな判断基準によって「疑うに足りる行為」を行なったとしているのである。したがって、原判決は、そもそもの処分事由の存否にかかわる判断において、懲戒権者の恣意にわたるそれを容認したものとしなければならず、地公法に違反し、右最高裁の判断とも対立するものである。
第二に、本件処分の裁量が、裁量権を付与した目的を逸脱しているかどうかという点について、原判決は何の判断も下していない。地方公務員に対する懲戒処分の決定に関する懲戒権者の裁量権とは、全体の奉仕者としての信頼を確保するためのものといえるが、本件処分においては、本項の5で述べたように、結局のところ、三里塚闘争において上告人が逮捕、勾留されたことをもって懲戒処分をしているのである。
また、原判決がいう「疑うに足りる充分な行為」とは、原判決においては犯罪行為そのものと対立してあげられているものであって、論理的にいって、犯罪行為そのものではありえない。いうまでもなく、上告人が逮捕、勾留されたこと自体は上告人の行為とはいえず、すでに明らかにした本件の事実関係からいえば、適法な集会参加と適法なデモ行進に参加するために待機していたことを指す以外にないのである。これを処分事由として懲戒処分を下すことは、明らかに憲法二一条の集会、表現の自由を侵害するものといわなければならない。
このことは、(証拠略)の新聞報道に示されている通り、当時の自民党中曽根内閣の政治的意図を背景とした全国的な処分であったところに起因するものと思量される。とりわけ教育公務員について、いずれも不起訴で釈放されているにもかかわらず、四件ともに懲戒免職処分がくだされていること(証拠略)にも、当時の内閣と文部省の政治的意図が示されているのであり、したがって、本件処分は懲戒件者に裁量権を付与した目的を逸脱するものであって、この点でも、原判決は法解釈を誤り、地公法に違反するものである。
第三に、原判決は、本件における懲戒処分の裁量において、それが「社会観念上著しい妥当を欠いて」いるかどうかについて明確な判断基準を示すことなく、本件処分を適法なものとしている。一般に、懲戒に関する「社会通念上」の妥当性の基準として考えるべきことは、第一には具体的事実に基づいた処分であるべきことであり、第二に、処分手続きの妥当性であり、第三に、処分の平等性、均衡性についてでなければならないと思量される。第一の点についてはすでに述べたとおりであるが、この点は懲戒事由が存在するかどうかの前提にかかわるものとして考えるべきであり、右最高裁の判断にいう社会観念上の妥当性の基準としては、当然除外して考えることとなろう。
第二の処分手続きの妥当性について、原判決は、「その過程に違法はない」(原判決第三四丁)としている。しかし、被上告人は千葉県警、千葉地方検察庁にたいして事情聴取にいきながら、証拠に基づかない伝聞以外に上告人の兇器準備集合罪、公務執行妨害罪の嫌疑に関する証拠を得ていないにもかかわらず、本件集会とその後のデモ行進の主催者である反対同盟から事情を聴取することも怠り、また、上告人本人に関しても、勤務校での生徒、保護者との信頼関係や、同僚教員の評価を聴取することもなく、「授業内容がどうであるかということにつきましては私は存じません」(証拠略)と証言しているようにその勤務ぶりすら充分には掌握していなかった新任の豊田校長から聴取したのみであった(同第一五丁ないし第一六丁表)。また、同校長はその際、東豊中高校の過半数の職員から寄せられた上告人の即時職場復帰を要請する署名簿を、不当にも、被上告人に提示しなかったのであり、被上告人は、そのために、その事実すら知ることがなかったのである。以上のことを考えれば、本件処分の決定に際して、手続きの妥当性、公正性について、憲法三一条の手続違背があったとしなければならないのである。
第三に、処分の平等性、均衡性についてであるが、(証拠略)は本件集会後に逮捕された公務員労働者、国鉄職員計一七名を含む処分事例であるが、そのすべてを網羅したものではない。右のうち、休職六月以上の処分事例を網羅したにすぎず、実際には不起訴となった教員以外の地方公務員のなかには、休職三月から同一月、減給、戒告、訓告とさまざまな処分がなされており、国家公務員、国鉄職員と職員だけが一律に懲戒免職処分となっているのである。このことは、憲法第一四条にいう法の下の平等に著しく違反するものといわなければならない。また、いわゆる起訴休職の規定が地方公務員法において起訴されたときに休職、有罪が確定して免職することができるとされていることとの均衡性について、これを著しく破るものといわなければならない。
以上の諸点から、本件処分は社会観念上からも妥当も欠く処分であって、法解釈を誤ったものとしなければならない。
8 本件処分の適法性について
以上述べた通り、本件処分はその理由がなく、違法無効なものであって、原判決は取り消され、上告人の請求は認容されなければならない。
以上